僕と歩こう

僕と歩こう。

執着は敵だけれども、
本当に自分を苦しめるのは、
他の誰かではなく、
自分の執着なのだから。

執着を抱えることは、
人間に生まれて来た以上、
どうすることもできない。

美味しいものは美味しいよ。
素敵な服は素敵だよ。
履きやすい靴は履きやすいのだし、
使いやすいフライパンは返しが楽だ。

自分の思い通りにならないことしか、
結局は人は悩まない。

美味しくない焼肉屋に行くのは嫌だし、
ブルックスブラザースのスーツを着ても、
(ラルフローレンでもいいんだけど)
ウニクロかH&Mとかにしか見られないこともあるだろう。
ビルケンシュトックのコルク床の、値段だけ高いサンダルを履いても、
足の裏の都合に合わず、
皮脂が却って硬くなって、
角質ローラーをまたネットで買うくらいなら、
クロックスの柔らかいケイマンとかを履いてる方がよっぽどマシじゃ。
ティファールだって一時的な物でしょう。
980円とかのフライパンのテフロンが剥げたら、
また980円のフライパンを買うて来い。

価値観というのは、
人(他者)に委ねるものではない。

人のために生きる?
何を抜かしとるんじゃ?
綺麗ごとなんか要らんわ。

人は自分のために生まれて、
自分のためだけに死んで行く。

最期は亭主も女房も親も子供もない。

「あー、俺(私)はこれで死んで行くのかな」

そのくらいの秒数しかない。

やり直せ。
何でもできるんだよ。

僕と歩こう。

できるようになったら、一人で歩け。

クロールが泳げるようになる時は、
ビート板を使ってバタ足から覚えるんだから、
そして両腕の使い方を覚えて、
息継ぎはどこで顔を傾げるのかを覚えるんだ。

一人じゃないんだから、
勇気を持って、
僕と歩こう。

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「いのち」を生きるということ

「死」を理解することは、
「生」を受けている者に取って難しい。

しかし、悲しいかな、
「生」に執着するからこそ、
「死」を受け容れることのできない悲しみに伏し続ける。

「死」を受け容れられないまま、
「死」に執着することは、
自己の「死」を受け容れられないという、
果てしなく強い自我に支えられている。

犬は死に、猫も死ぬ。
ママもパパも、死ぬ。
その時、同じ時代に偶然出会って、
本当に愛したと思う相手も死ぬ。

では、「死」というものは、
「死」を持って立証されているのに、
「死」を以って執着の必要がないことを、
亡くなった方が伝えているのに、
人は何故、そこに執着して行くのだろう。

死んだ人の「死」にではなく、
「死」に対する己の執着を信じ続けることしか、
生きる価値はないのか?

死んだ人の「死」を、
そのまま大切に受け容れることができないのだとしたら、
それは自分の「死」に執着しているだけだ。

生きて、今ある「いのち」があるのなら、
生きて、生きるべきだと、僕は思う。

「死」を忘れろと言っているのではなく、
「生」を見つめ直せと言っている。

小さい子供たちを残して先に死んだママが、
「一生、ママのことを忘れないで」と、
そんな呪いを子供にかけるだろうか?

衆生の憶測と執着は、
人生にたくさんの間違いを起こす。

死んだ人が残すのではない。

死なれた側が、死んだ子の歳を数えるように、
救われていることを認めない自我が、
愛することを忘れさせないと信じ込む、
おかしな地獄を自力で作り出しているだけなのである。

生きている「いのち」は、
明日があることを忘れてはいけない。

生まれ育み成長して行く、
自然(じねん)のはたらきに自分を委ね、
明日に向かう「いのち」があっても、
執着に囚われるような「いのち」であってはならぬ。

「いのち」は、
都合の良い時も悪い時も、
たった一人の「私」だけのものであることを、
忘れてはならない。

親であろうが、兄弟姉妹であろうが、
亭主であろうが女房であろうが、
どんなに愛する人であろうが、
いのちがまだある自己の、
「思い」などと引き換えにできる訳がないことを、
誰とも交換できないものであることを、
忘れてはならない。

「いのち」の尊厳とは、
先ず、自分を大切にできることだから。

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ママの手 阿弥陀の手

いろいろな事情で、
会いたくても自分の親に会えない人もいる。

世の中にはそういう悲しみがあるということに気付かなかった僕は、
生まれて初めてくらいだったけど、
自分と親との繋がりを考えた。

親に会いたいのに会えない人がいるのに、
僕には、毎日、ごはんをしなきゃいけない親がいる。

僕にはパパもママもいる。
パパは81歳。
ママはこの9日で80歳になった。
(前にも書いたけど、僕のママは薬で進行の速度を抑えているポンコツだ)

朝は二人ともパン食なので、
パパがきちんとドリップで二人分のコーヒーを淹れて、
先に勝手にパンを焼いて、
自分の分のコーヒーとパンをお盆に載せて、
絵を描きにアトリエに行くんだけど、
ママが自分でできるように、
お皿にジョアンの食パンを乗せて、
横にマーガリンを置いて、
コーヒーも飲めるようにしている。

(法儀相続ではあんまり役に立たないけど、ママにとっては「よくできたパパ」だ)

お昼ごはんは、今は夏だし、
お中元で届く素麺の、黒い帯の「ひねもの」ばかりを当てにもできず、
だからと言って、スーパーで売ってる赤い帯のは、
ちょっと太くてあんまり美味しくないので、
面倒くさいから、結局、黒いのの120束入りくらいのの荒木箱をネットで買った。

(こんなの自分で買わなくても、おじいちゃんがいた頃には荒木箱が山積みで届いてた)

パパに、素麺を茹でてから冷水で洗うことと、
市販の薄めて使う麺つゆみたいのを教えたら、
あの男はどれだけママが好きなんだろうと思うけど、
お昼は毎日、せっせとママに素麺を茹でてやっている。

僕は晩ごはんだけの担当なので、
その用意しかしてないし、
「親に会いたくとも会えない人もいるのに、
 一緒に暮らせて、ずっと傍にいてくれる親に、
 俺は何もしてあげてないな」
と思った。

テレビをぼんやり見ているママに、
「買い物に行こう」
って言った。

ママは、
「え? 今すぐ?」
って言った。

「うん。一緒に晩ごはんの買い物に行こう」

ポンコツになっちゃってるママは、
「お化粧とかしてないし、どうしよう?」
って、軽く狼狽したけど、

「スーパーマーケットやからお化粧なんかいらん。
 とにかく買い物に行こう」

もっかい言ったら、
玄関のGUで買ったスニーカーを履いて、僕の後をついて来た。

ママの手なんか握ったことなかった。

右手を後方に出すと、
ママは僕の手を素直に掴んだ。

若い頃なら、

「お前なんかと繋ぐ手はありませんっ!」

って、ちっちゃい「っ」に「!」まで付けて、
本当にプライドの高かった僕のママが、

「手なんか繋がなくても歩けるよ」

って言いながら、
僕の手を繋いでる。

スーパーの中を二人でぐるぐるしながら、
手は、離れたり、また繋いだりした。

ママの手がこんなに小さいことを、
僕は知らなかった。

勝気で、僕を一度も褒めることなく、
「スパルタンX」で、
ありとあらゆる塾やら、お習字やら、ピアノ教室やら、
スイミングやら、テニススクールやら、
何でも僕の意志に関係なく放り込んで、
通知簿渡し(国立の付属は毎回、親が取りに行く)の時は、
殺されるかと思うから、押入れに隠れ、
毎日叱られてばかりで、
僕はママが怖いから、
おばあちゃんの後ろにいつも隠れて、
また叩かれると思って、
ママが嫌いで、逃げ回ってばかりいたのに。

大人になってから初めて握る、ママの手は小さかった。

僕と手を繋ぎながら、
トコトコと歩くママは、
ポンコツが始まった頃からだろうか。
もう、僕を叱ったりしないし、
もう、僕を叩いたりしなくなって、
今はとても素直で従順で小さい。

3分前に言ったことを、もう覚えていない。

そのうち、自分の妹も、
僕の妹も、みんな分からなくなるだろう。

僕の知らないうちに、
ママの手がこんなに小さくなっていたことに、
僕は気付かなかった。

親に会いたくても会えない人もいるのに、
生まれてからこんなに毎日一緒にいるのに、
僕はママのことを何も見ていなかった。
僕はママのことを何も知らなかった。

ママの手がこんなに小さくなってからじゃないと、
僕はママのことを分からなかった。

親に会いたくても会えない人が、
その悲しみを何となく話してくれたから、
僕はママの手が小さいことに気付いた。

僕の阿弥陀は色んな人を僕に遣わして、
僕のママの手より小さい僕を済度してくれる。

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真宗を舐めてもらっても困る

僕の願う浄土真宗は、
いつもいつも鬼みたい。

「だから何?」って、
誰かに言われても、
教えてやる相手に媚びたりなんかしない。

僕は僕から逃げない。

磐石であることについては、
僕は阿弥陀と結託している。

何がそれほど弱かったのか?

自分を信じていない人が何を話しても、
自分を信じることができない衆生を集め、
どの人も引っ張って行けない。

どうして親鸞と向き合わないのか?
どうして自分が先に立たないと、
何で?
何で「自分」なの?
何故なの?

本当の悲しみとは、
そんな甘いものではない。

僕は、
少ない数であっても、
ずっと話して、
ずっと捉まえて、
大切にしている。

真宗に人生を全部、
賭している。

僕と阿弥陀の、
本当に大切な衆生を、
どんなに小さくても、
僕は誰にも渡さない。

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いいお坊さん

厳しいなと思う。

自分のブログ記事を読み返したり、
コメントにレスを付けたりしている、
その自分の文章を読み返す度に、
「この人って本当に厳しい人だな」と、
自分が書いた言葉を、客観的に見て思う。

自分で読み返しながら、
「酷いな」
と思うこともある。

僕自体が、そもそも優しくないんだろうなって思う。
書いてあることが本当のこと過ぎて、
自分が書いた文章なのに、
読んでいる自分が傷付くくらい、
ばっさりとした冷たい表現が多い。

飄々とした人になれればいいのだが、
小さい時から神経質過ぎるところが直らない。
穏やかで優しい人になれればいいのだが、
毒舌で生意気なところが直らない。

毒舌で生意気は、
公民館や他所の寺院の法話なら大人気なんだけど、
それは一年に一度か二度くらいだからウケるだけで、
毎月のことでは難しい。

毎日のように話せる相手に真宗を伝えることは、
一年に二回くらいしか会わない人たちに伝えるより難しい。

たまにしか会わない人たちには、
お互いに責任がないからだ。
毎月や毎日のように話ができる相手には、
常に責任が発生している。

法話のように、
60分なり90分話してしまってから質問をされるのなら、
相手も話を咀嚼しているからいいんだけど、
一対一などの場合は、
疑問や質問がその都度出て来るし、
「最後まで黙って聞け」と言っても、
相手が黙る訳ではないので、
はっきり言って話なんか伝わらない。

浄土真宗を「聞きたい人」よりも、
自分の話を「聞いてほしい人」の方が多いからだ。

相手の言い分や言いたいことを、
黙って「ふむふむ」と聞いてあげる方が、
多分、世の中で言うところの「いいお坊さん」なのだろう。

「いい人」というのは、
得てして「都合のいい人」である場合が多い。
「悪い人」というのも、
得てして「都合の悪い人」である場合が多い。

人は、
誰かに「いい人」と言われるために生きなくてもよい。
自分の社会的評価を気にしながら生きなくてもよい。

自分のために生まれ、
自分のためだけに死んで行くのだから。

「まことに死せんときは、
 かねてたのみおきつる、妻子も、財宝も、
 わが身にはひとつも、あいそうことあるべからず」

【意訳】
本当に死んで行かなければならない時は、
ずっと信頼し愛し続けて来た女房も子供も、預金や財産も、
自分の身には何一つ沿うものなどなくて、
我ただ一人、手ぶらで浄土に還るだけなのである。

※蓮如上人 御文 一帖 十一通 真宗聖典(東)P.772 2行目

僕は「いいお坊さん」には一生なれないと思う。
厳しくて生意気で面倒くさいお坊さんのまま、
きっとこの生涯を閉じるだろう。

そういう自分の人生を、
僕は正直に受け取らなくてはならない。
そういう自分の人生を、
僕は素直に受け取って生きなければならない。

もちろん、阿弥陀と二人で。

人に嘘をつくのは構わんが、
自分にだけは嘘をついてはいけない。

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歩ける人

何年前だったかな。

お正月だったと思うけど、
上沼恵美ちゃんと藤山直美の対談番組があった。
宗教家としても、話し手としても、お笑い芸人坊主としても、
この恐ろしいゴールデン対談を見逃す訳には行かなかった。

どっちも「恐ろしいほど」口が立つ二人だから、
どっちが「聞き手」になるのかということにも強い興味を持った。
でも、芸暦は藤山直美の方が当然長いからだろう。
恵美ちゃんが「聞き手」に回っていた。

MC慣れしていることもあると思うけど、
上沼恵美子の、藤山直美からの話の聞き出し方は、本当に上手かった。

「直美さん。今、もう50代に入られてますね?」
(なかなか聞き難い質問を、恵美ちゃんも頑張ってしたな)
「そうそう、もう今年54ですわ」
(直美は普通に答える)
「そしたら、ご結婚とかのこと、考えませんの?」
(カンペ出てるんだろうな)
「何度も考えたことはありますよ」
(直美もカンペ見てるんだろうな)
「例えば、こういう人がタイプとか、なんかそんなのあらへんの?」
(おう、恵美ちゃん、よう突っ込んだな)

即座に藤山直美が答えた。
間髪入れず、

「立って歩ける人」

上手いなあ……。

自分の年齢、
番組ウケの配慮、
次のツッコミを恵美ちゃんにさせない格上のボケ。

恵美ちゃんはもう結婚しているから、
「立って歩ける人? ウチの旦那も歩けなくなるかも知れへんわ」
みたいに、ちょっと返していたけれど、
50代からの結婚って、
本当にそうなんだろうなと思う。
お互いに、
「立って歩ける人」を探さないといけない。

高年齢化が進む世の中で、
男の人も女の人も、
お互いに、
「立って歩ける人」でないと、
親の介護、
いつ自分に訪れるか分からないアルツハイマー、
脳梗塞、
心不全、
親の死、
親族の死、
自分の死、
配偶者の死、
どれが先なのか、
誰にも分からないんだよ。

「歩ける人」と出会ったら、
この人がいつまでも歩けたらいいなと思う。

僕のために歩ける人ではなく、
自分のために歩ける人でもなく、
僕と仏教を歩ける人に、
僕は傍にいてほしい。

僕も今年54歳になる。
身体も心も健康でいられる時間が少ない。

トライアスロンで言えば、
スイム(泳ぐ)は、30代までだった。
バイク(自転車)は、40代だった。
ラン(走る)を、50代に入った僕は、
まだ歩いている。
走ることをやめて、
僕はまだ歩いている。

歩く覚悟は、
走り続けて来た自分が、
走って来たという自分の事実をすべて捨て去らないと、
平安は訪れないことを、
仏教によって分からされたからだ。

若い時は走ればいい。
走らなくてもよいということに気付くためには、
走ったという経験が必要だから。

そして僕は、能く分かった。
歩くことを、分からされた。

走らない人と、
僕は歩いて行きたい。

歩ける人と手を繋いで、
僕と仏教を歩ける人と、
僕は歩いて行きたい。

※先日、この記事を上げて、一瞬で削除したことについて、
「一回しか読んでないのに記事が消えた」
「後からもう一回読もうと思ってたのに」
「すぐ書いて消すところがリアルで純粋すぎる」
等々、
思いの外、クレームが多かったので、
渋々でUPします。

こんなん、俺かて恥ずかしいんやからな。おまいら(-“-)

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やっぱりトシヤはサンタクロース

僕のフォルクスワーゲンのV5のBORAは、
ウチの車屋のトシヤに、
「これは車検通して4年乗ってくれ」と言われていて、
29600kmで持って来て、
59600kmで2回目の車検が来て、
登録が6月4日だったので、
5月30日に引き取られて行った。

廃車になることは分かっていたけど、
トシヤが代車に持って来たのは、
138000kmとか走ってるPASSATで、
V6だわ、フルタイム4DWだわ、3200ccだわ、
60000kmも走ってないBORAを廃車にして、
その倍も走っているPASSATを代車て、
どうなん?

「BORAを下取りはせんでいいけど(潰してもいいけど)、
 倍も走ってる車が代車で、BORAが廃車って、
 何となく納得できないけどなぁ」

「今のBORAって、ABSのフォルト、ずっと点いとるやろ?」

「そんなん、4年前から何回もフォルトのピー音、鳴ってるって。
 ブレーキ、ガーンって踏んだら、ABSはかかってるし、
 インパネのランプの誤作動だけじゃん?」

「ABSが効いとるとか、いう問題じゃなくて……」

トシヤはそれ以上、僕に何も言わなかった。

要は、ABSがブレーキとして作動していることが問題ではなくて、
インパネの点灯ランプだけを治すためには、
ハンドルも外して、
前面のダッシュボードを全部外さなければならないので、
工賃にしたら5万も6万ももらわないと、相当の作業になる。
いちばん面倒くさいことになるくらいなら、
いくら走行距離が少なくて、
この先も、代車にするなら便利な車だったんだろうけど、
ABSの「ピー」のランプの誤作動を治さないと、
代車とて、車検を受けられない。
だから、
「ピー」って言うBORAを埋葬したかったのだろう。

「月を跨ぐと、自動車税がまたかかるから、
 5月中に潰した方がいい」

今朝まで乗っていたBORAがスクラップになるのはイヤだったけど、
12年を過ぎると、
「早くエコカーに買い換えろや!」みたく、
自動車税に罰金みたいのが乗せられて、
排気量が2300ccの場合、
本来なら44500円のところを、毎年、51700円を納めなければならない。

ウチのサンタクロースは、
35年くらいの付き合いで、
僕をお客さんとは思っていないから、
儲からない相手の僕には、
「情」だけで全部やってくれている。
(だから半年も代車に乗せて放置されたりする)

今朝、サンタクロースから連絡があった。

「PASSATの2.0のターボの革シート、あったぞー」

「ちょっと待って。 この愛する友達に、跪いてでも献上したいくらいの車なん?」

「評価、4.5付いとるし(業者オークションのこと)、これ買うわ」

「自信あるん?」

「ある」

ウチのサンタは本当に真面目な男なので、
営業トークは一切できない分、
言い訳も絶対言わない。

トシヤが「あった」と言うのなら、
僕も「それ」を「買う」しかない。
こんなに儲からない友達から、
鬼のような「業販価格」並みの条件を押し付けられているのに、
またしても、ちゃんと車を探して来てくれた。

「スノー(スタッドレス)、鉄チン(鉄管ホイール)付けて、11月くらいまでに用意してや?」

「5穴の16(インチ)くらいで、何かあるやろうから、秋までに用意しとく」

代車が来てから1ヵ月半。

近所の門徒さんから、
「BORA、どこ行ったん?」
「また半年、代車か?」
「この代車でもいいやろ? この車を買ってあげればいいじゃない?」

メンテナンスとか板金とか、その都度、
僕が拘って乗っている自分の車より、新しい年式の代車が来ることも多くて、
「あら? GOLFに換えたん?」
(換えてねーし)
「代車の方が新しいんと違うん?」
(代車の方が新しいです)

僕は僕の好きな車に乗りたい。
メルセデスもBMWも乗り換えて来たけれど、
やっぱりフォルクスワーゲンが好きで離れられない。

新車は、1日乗っただけで中古車になってしまうことも、
何十台と車を乗り継いで来て知った。

おじさんぽい車が大好きだけど、
おじさん系の車は人気がなく、
だから値段も安い。

トシヤはいつもサンタクロースだ。

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法事

今日は四十九日の法要があったので、
朝からバタバタとしていた。

バタバタとするということは、
自分が苛々とすることだ。

パパがまだ元気だから、
法要の式事はやってくれるけど、
ママはお茶を淹れるところまではできても、
何個のお茶碗と茶托を、
いくつ出せばいいかも分からないし、
ギリギリまで、僕も五條袈裟を着けられない。

「今日は何名ほどのお参りですか?」

「全部で8人で行きます」

蓋を開けたら13名の大人に、
プラスでちびっこが4人もいた。

あー、小さい子も来るかも知れないのに、
ジュースくらい買っておけば良かった
と思ったが、
小さな子供がいない僕は、50も過ぎて、
自分がジュースを飲まなくなったから、
ちびっこがついて来るかも知れないことに気が回らない。

「小さい犬とか、大丈夫?」

「みたい! みたい! ワンちゃん? みたい!」

ずるいなと自分で思いながら、
お茶の用意を追加でしなければならない僕は、
ジュースの代わりに、阿難とチューダを、
子供たちが退屈しないようにアテンドに出した。

手が足りなくなると、俺は犬まで使うのか……。

法事ではあまり長く話さないのに、
僕は珍しく、15分ほど法話をした。

ちびっこたちのママは、
どうだろう……、30代前半くらいだろうか?
あんまり、お寺でお坊さんのお話を聞いたことがないからなのか、
えらい喰い付いて聞いていたように見えた。

亡くなったおばあちゃんに、僕は、
「安妙」という法名を書いた。

「妙」という字は、
女の人に使うことが多いのだが、
女性だからと言って、その文字さえ使えばいいとは思っていないので、
今まで、一度も使ったことがなかったけれど、
「妙(たえ)なる」という、
「なかなか、そう簡単にあるもんじゃない」という意味として、
おばあちゃんの法名に「妙」という字を使ったことを話した。

「微妙に美味しい」とか「微妙にイヤだ」とか「微妙に変な人」とか、
みんな、普通にスラングとして使ってるじゃん?
「妙な人」とか「妙なことをするね」とか、
それも、あんまり好い意味では使わないよね?
「微妙」って言葉は、「なかなかないわ」に「微」が更に付いて、
ものすごく見付けられ難いっていう意味なのね。
おばあちゃんは「妙な人」ではないよ。
なかなか探せない人なんだって、
そういう意味で「妙」という字を用いました。
そして「安」という字は、
「安全」とか「安心」とか「安らぐ」とか、
普段はそういう風に使っているけれど、
「安」の字を求めるのは、
自分が「不安」だからで、
「安」を否定しているから「不」が生まれて来ることも忘れちゃいけない。
「安」を求め過ぎるから、「安」に「不」がついちゃうのね。
「安」は理想ではなくて、
どんなことが起きても「安」としていられることを意味しているのであって、
「不安」の解消のために「安」があるのではなく、
「安」を信じられないから「不安」になるだけなんだ。
おばあちゃんのことは忘れることがあると思うけど、
「安」と「妙」という字は忘れないでください。

AKBのあっちゃんの卒業式みたいなこと言っちゃったかな(汗)

若いお孫さんたちは、ふんふんと聞いていた。

法事が終わって、納骨も済んで、
みんな犬の頭を撫でて帰って行った。

二匹を抱き上げて、自室に戻ると、
階段の踊り場に下ろした途端、
ジャーキーを食べさせろと、
ハチマキして怒る春闘みたいな勢いで、
僕に猛攻撃をかけて来た。

お孫さんはみんな、県外にお嫁に行ってしまって、
おじいちゃんとおばあちゃんのお墓だけが僕のお寺に残って、
納骨を済ませて、お経があがったあとに、
東北に移り住んでいる長男のおじちゃんに、

「今日、お経をあげとるのは、僕のおばあちゃんでない。
あんたのお母さんです。
このお墓は僕んちのお墓ではないですからね?」

僕がニコッと笑って言うと、

「そうですね」

分かりたくないことを言われたような顔で、
おばあちゃんの長男さんが応えた。

みんな、「骨」なんか厄介者だ。
生きていても、歳を取れば厄介者だ。
葬儀やお墓やなんて、もっと厄介だろう。

「死ぬときにわかることを、
生きているうちに分かるのが仏教であり、
したがって仏語にはいつも死に通用する内容がふくまれている」

(高光一也 「これでよかった」 法蔵館/p.42)

僕のおじいちゃんは、著書の中にそう書き遺している。

亡くなった人のために法要があるのではない。
死んだ者のためにお経があるのではない。

法要をしようとする人のために、
今を生きている人のために、
これからちびっこを育てようとする人のために、
この孫をどうして守って行こうかと思う人のために、
仏教がある。

法事というものは、
そのためにだけある。

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事実は真実

明朝体がいちばん嫌いなのに、
編集画面はいつも明朝だ。
このブログを書く意欲を相当に妨げる。

洋画のDVDを山ほど借りて来て、
死ぬほど映画を観まくる時期が、
年に何度か訪れる。
一気に30作品くらいを観続ける。

前回のピークで納得できた作品は、
『そして、デブノーの森へ』
だけだったが、
脚本や見せ方に、ちょいちょい「雑さ」があり、
カメラワークが「懲りすぎていまいち」な感が、やや否めなかった。

今回、いい本(脚本)と演者が噛み合っていたのは、
『パリ3区の遺産相続人』という映画だった。
結末はどうでもいいくらいつまらなかったが、
あの収め方しかない課題であったし、
経緯の描写に重点を置いて撮りたかった本題であることは、
痛いほど伝わって来た。
クロード・ルルーシュ監督作品を思わせるような、
カメラワークも巧く、
フランス語と英語がきれいに混在する、
テクニカルな作品だったと思う。

僕がものすごい勢いで、山ほどの洋画を観続ける理由は、
自分のコモンセンスが、
本当に見極めなければならない何かと、
ずれ始めているのではないかという、
強い疑いが僕の中に発生し、
自分を信じられなくなる時期が、周期的に起こるからだろう。

主観だけで走り続けると、
客観を見失う。
そのことを僕にまざまざと教えてくれたのは、
浄土真宗だった。

親鸞は、これを遺したかったのではないか。
歎異抄を綴った唯円上人は、
これを遺したかったのではないか。
この辛さと責念から、
たった一人の僕を解放するために。

仏教者として生きる道は、
今思えば、
僕が選んだのではなく、
阿弥陀に選ばされたことを、
生き方が不器用だった自分を、
この先も不器用にしか生きられないこの僕を、
阿弥陀が捕獲してくれたのだったと、
心から感謝している。

今日は、自坊の平成講だった。
13:30からなのに、
午後から降り出した雨は、滝のような音を立てていて、
僕は内心、
「今日はお参りの人が少ないといいな」
と思った。

大きな会場で、
例えば200人とか300人とか、
それはそれで話がしやすいのだが、
5人とか6人とか、
参詣の少ない、小ぢんまりとした講座も、
真の心が伝えやすく、
僕の心の核に迫ることを、本気で素直に話せる。

13時を過ぎた頃から、雨は少し小さくなって来て、
僕の期待通り、参詣の門徒は6人のおばあちゃんだった。
阿弥陀経を上げて、御文を読んでから、
僕は唐突に法話を切り出した。

「さっきまで、ひどい雨やったな」

「うんうん。今日はお講に来ないでおこうかと思うた」

「今朝、畑に葱を植えとったらどうや?」

「あー、助かった。昼から水を撒きに行かんでいいと思う」

「久しぶりに昔のお友達と会うのに、おめかしして、口紅の一本も引いとったらどうや?」

「えいクソ、何で今日に限って雨が降るんじゃと思うわい」

「そやな。今日はいい天気やねって、どんな天気のことを言うんやろう?」

「都合のいい天気や」

みんなが笑った。

僕は続けた。

「上坂のばあちゃんと……。
 まだ施設に入る前やったけど、
 今と同じ話をしたことがあった。

 いい天気は、大人だけのものじゃなくて、
 運動会でかけっこが得意な子は、てるてる坊主を10匹吊ってでも、
 明日は雨が降らんといてくれと思うけれど、
 いつもビリになる子は、てるてる坊主を逆さに吊ってでも、
 明日は雨が降って欲しいと思う。
 そやけど、
 明日が遠足やったら、どっちの子も晴れて欲しいと思う。
 子供にとっても、天気は都合や。

 畑に水を撒かんなん日に、雨が降ってくれたら、
 あー、助かったと思うけれど、
 眉を描いて口紅を引くと、
 何で今日に限って雨が降ると腹が立つ。
 そういうことやろ?」

「うんうん、そやそや」

「どんな人間も、自分の都合で動いとる。
 自分の都合で動くから人間なんや。
 自分の都合で動いたらいけないと、
 どんなに道徳心を持っていても、
 人は自分の都合に沿って生きる。

 隣の兄ちゃん、見てみろや?
 毎日みたいにミサイル飛ばしとる」

「あれ、どうにかならんもんかね?
 ニュース見る度に、いやーになって来る。
 何でこっち(日本海側)にしか撃たんのや?」

「確かに、毎日いやになるわね。
 そやけど、
 あの子かて、まだ30歳そこそこの子供や。
 叔母ちゃんの旦那さんやらお兄さんを粛清したらダメやて、
 そんなこと、人道的にはよう分かっとったはずや。

 立場が人の心を歪曲することがある。
 
 違うおうちに生まれていたら、
 違う国に生まれていたら、
 あんな人生じゃなかったかも知れん。
 高田さんちの二番目やったり、北さんの長男やったら、
 あんなこと、思いも付かんかったやろう。
 でも、生まれてしまったんや。

 私は隣国のあの子の肩を持つ気はないけれど、
 男に生まれて来ようが女に生まれて来ようが、
 日本に生まれて来ようがドイツに生まれて来ようが、
 南アフリカだったりサウジアラビアだったかも知れないけれど、
 一度、人間として生まれて来た以上、
 その条件が整っていてしまったら、
 今から変えられることなんて一つもないんや」

「うん。そうやね……」

「昨日、金沢に来てた皇太子も同じや。
 狙って皇太子に生まれて来た訳じゃない。
 北島さんのところに生まれてたかも知れないし、
 橋本さんのところに生まれてたかも知れないし、
 産むか産まぬかは親の判断やけど、
 子供は親を選べんのやから、
 生まれたところに準じて生きなければならないじゃない?」

「ほんなら、昨日のニュースの、警察官が嫁と子供を殺したって、
 あれはどうなんやろ?」

「うん。
 本来、あってはならない話やと思うし、
 非常に残念やとは思うけど、
 女房だけじゃなく、二人しかおらん子供も、
 三人まで殺めたとなると、
 あのお父さんにも、何かの事情があったんじゃないかね。

 但し、ニュースは15秒くらいで取り上げて、
 さて、次のニュースです、って言うわ。
 うちらは視聴者やから、15秒なり30秒で流されても、
 ふんふんと聞いて流してるだけやけど、
 今からあの人の家族の中に、
 どんな辛いことが押し寄せて来るか?

 殺めた警察官のお父さんにも、両親がおって親戚もおる。
 殺された奥さんにも、両親がおって親戚もおる。

 何で? 何で? どうしてこんなことになったん?

 親族郎党、みんなその悲しみと苦しみに、
 周囲の色んな人が巻き込まれて、
 実は今から長い長い裁判になる。

 殺した側の人の正直な供述や、
 長い長い裁判の詳細って、
 ニュースでは報道されないんだよ。

 もしか、奥さんが育児ノイローゼだったり、
 本当に真面目な警察官過ぎて、
 全部、殺してしまって、
 僕が生きて罪を被って償えば、
 女房も子供も幸せかも知れないと、
 彼がそう思って起こした行動かも知れん。

 道徳的に良い判断とは言えんけれども、
 本人に本当の気持ちを訊いてみんことには、
 何が辛かったか、何が苦しかったんか、 
 ただテレビのニュースだけ見て、
 ああやこうやと、
 結局は、我が身の娯楽に使うとるんじゃないのかと、
 そういう目を、時々持って、
 私は皆さんと生きて行きたいと思っています」

みんな神妙な顔をしていた。

「大きいお寺に生まれて来んでよかった。
 私にちょうどいいサイズのおうちに生まれて来れてよかった。

 さて、今日は戴いたケーキがあるから、みんなで食べよう。
 昨日、隣町の報恩講で貰って来た和菓子もある。
 上手に雨が降ってくれて、お参りの人も少なかったから、
 取り合いにならんように、ちゃんと合うた人数が揃うとるもんやな」

「わはははは! ケーキ、食べる食べる!」

「私は和菓子の方が好みや!」

譲り合ったり分け合ったりしながら、
参詣のおばあちゃんたちは楽しそうだった。

帰りに寺の山門をくぐれば、
その途端に、みんな元の生活に還る。

何に迷い、どんなことにぶつかっても、
避けて通れる道など一つもなく、
それをそのまま受け止めて行くしかないのだ。

それが事実であり、
それが真実であることから、
目を離してはならない。

 

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自力

今、自分が言っていることが、

どれほど阿弥陀を裏切っているか、

それも能く分かっている。

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