難題は軟題

物事は、
起きてから考えればよい。

起きてもいないことを憂う暇があったら、
起きてから対処することに、そのエネルギーを使えばよい。

家が火事になった。

「何で? 何で? 何で?」

何で? じゃねぇんだよ。
焼けたのだ。
家がなくなったことは、
原因はともあれ、
とにかくもうないの。
ないものはないんだ。

子供を亡くした。
若しくは、親を亡くした。

「何で? 何で? 何で?」

何で? じゃねぇんだよ。
いないんだ。もう。
どこを探しても出て来ない。
原因が、事故でも病気でも逃避でも、
とにかくもういないの。
いないものはいないんだ。

「どうしてこんな目に?」
「何で自分ばっかりこんな思いを?」

それは違うよ。

苦悩というものは、
解決できる人の能力に応じたスケールでしかやって来ない。

キャパが小さい人には小さいスケール、
キャパが大きい人には大きいスケール。

ちゃんと、
その人のサイズに合わせて、
その人が受け止められる範囲で、
その人に解決させて、次の歩みを促すために、
阿弥陀が次々と難題を持ちかけて来る。

難題は軟題だ。

解決できない問題など、
初めっからやって来ない。

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人のことを考えて生きよう

国政は難しくなって来たなぁ。

投票率は、
著しく下がるだろう。

だって、誰に投票すればいいのか、
国民のみんなが、分からなくなっちゃってる。

あーあ。

日本の国民がこんなにバカだって、
世界中に言い触らしちゃったじゃん。

今、出なくても、
2年後の参議院から出ちゃえばいいじゃん?
誰かを辞任させて、
どうしてもやりたいなら、
補欠で出ても、方法なんていくらでもある。

このフライングが、国民の不安を煽った場合、
首都圏だけが国民ではない。

地方に暮らす人々をこそ、国民と言うのだから、
人を大切にすることと、
人を利用してのし上がることは違う。

人の上に立つ時は、
人を下に思ってはいけないと、
僕は思う。

だってね?
本当の思いが伝わらなくなっちゃうんだもん。

誰よりも大切にしたい人たちと、
僕は、静かに生きたいし、
僕は、静かに死にたい。

僕、真宗門徒でよかった。
道徳や政治に惑わされない自分でよかった。

選挙、行けないなぁ……。
投票率が下がる。

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フライング感が否めない

政党にも政治にも、
あまり興味がないけど。

せっかく女性なのに、
次々と失脚してしまうような。

築地とオリンピックを、
2020年まで待って成功させれば、なぁ……。
それからでも良かったのに。

隣の大統領と渡り合えるかどうかなんて、
隣のミサイルあんちゃんと渡り合えるかどうかなんて、
それは今すぐは無理だし。

逼迫している問題って、
国民の安全だろう?

俺だったら、
自分の妻子と親と親族と犬と、
門徒と友達を守りたい。

自治より保身のホストばっかり群がってもなぁ……。
ホストクラブみたいだし。

国民もちょっと困ってると思うけどなぁ。

いい政治家になれる資質を持っているのに、
カードゲームで言ったら「大貧民」みたく、
「ジョーカー」を持っていることではなく、
「3」の使い方が上手でないと上がれないんだよ。

嫌な感じで、あんまり強くない絵札を、
上がりたいばっかりに、3枚出しちゃったような気がする。

女の子って、頭だけ良くても……。

もったいないなぁ。

もう少し待てば、本当にいい政治家に、
もう少し待てば、国民を守れるだけの信頼を受けられたのに。

男の人たちに、上手な「逆サソリ」技をかけられている気が、
僕には何となくする。

男の子の方が本当に弱虫なのに、
だから守ってあげなきゃならないのに。

同じ虫かごの中にいては、
弱虫を助けてあげられないじゃない? って、
僕は思う。

虫かごの中にいる者を救う時は、
虫かごの外にいなきゃ。

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お軸

山代のお寺に、
年に二度、法話をしに行っている。

いつもいつも、
僕を待ち構えて、
何度も口合戦みたいなジジィがいて、
いつもディベートみたいになるんだけど。

これは、お互いに「好き」だからしょうがない。

ジジィは僕を好きだからごちゃごちゃ言って来るし、
その、ごちゃごちゃ言って来るジジィを、
僕も好きなんだから、
山代の外野の門徒は、
そのやり取りが面白いから、
いつも集まって来るんだと思う。

去年の春に、
ジジィじゃなくて、ジジィの友達みたいなジジィが、

「南無阿弥陀仏って、お軸(掛軸)を書いてくれ」

って言い出した。

「もっと、ちゃんと書ける偉い人とかに書いてもらえばいいじゃん?」

って言ったら、
ジジィの一味の、そのジジィは、

「俺が知らんもんに書いてもらいたくないんや。
 俺はお前に書いてくれて言うとるやろ?」

「……」

気持ちは分かる。

「分かった。書くから、表具は自分でしてね?」

僕んちのお寺のお向かいのチーは、
幼馴染で、お習字の先生もしてる。

僕は、昔取った杵柄みたく、
書道は五段だけど、
芸妓さんのプラクティスのように、
お三味線と鼓(つづみ)と長唄みたく、
ピアノとヴァイオリンとゴルフとお習字は、
毎日、お稽古してないと、
3日サボったら死に近い。

僕はチーに電話した。

「南無阿弥陀仏のお軸を書いてくれって。
 どうしよう?」

「それは、あんたが頼まれたことなんやから、
 書家が書くことじゃないじゃん?」

「落款とかどうするん? 赤いハンコみたいのも作らんといかんやろ?」

チーは優しい性格なので、

「まー、いいわ。
 紙とか太筆とか、腰までおろしてる筆とか、
 文鎮も毛氈(下敷き)も、こっちで用意してあげるから」

「墨汁で書いてもいいんか? 墨と硯で擦った字なんか書いてねぇぞ。
 俺、縦のでかい半紙に、昇る朝日、とか四文字しか書いてことないってば」

不安がる僕に、

「手本(六字)のバランスのは書いてあげるから、
 あとは自分の字で書きなさいよ」

「ほーい」

しばらくして、
いつまでも嫌がって書かない僕に、
毛氈の下敷きから、縦長の紙から、
筆から墨汁から、硯から文鎮まで、
何もかも揃えて持って来てくれた。
しかも、書初めとかで、
大きな紙に四文字しか書いたことのない僕に、
六文字のバランスが分かりやすいように、
お手本を何枚も書いて来てくれた。

「落款(朱色のハンコ)とかって、どうしたらいいん?
 俺、そんなの持ってないし」

「白文と朱文はあるけど、
 それも頼んであげるから大丈夫。
 名前だけ決めてくれれば心配ないから、
 二週間前くらいに決めれば大丈夫」って。

どこまでいっても、
僕はどんだけ過保護なんだろう? と言うか、
どんなに困っても、
どんなに逃げたくなっても、

「はいはい! ちゃんとやりなさいよ」

って言ってくれる人が、
いつもいつも常に周りにいる。

辛いこともたくさんあるけれど、
みんなが傍にいてくれる。

このなまけものの拙い住職を、
いろんな人が住職にしてくれる。

だから僕は、
頼まれた「南無阿弥陀仏」の文字を、
逃げずに書ける。
書かせてもらえる。

美しい文字を書くことではなく。
きれいなお軸になることではなく。

僕に、
「お軸を書いて。知らない人が書いたのは嫌なの」
って言って来たじじぃも、
どんな段取りをもしてくれたチーも、
みんな阿弥陀だ。

お軸は、何が何でも書かなきゃならない。

この一環が、
すべて弥陀のはからいであるから。

「南無阿弥陀仏」って、
僕、ちゃんと書くよ。

筆でね。

落款も押すよ。

僕が僕であるために。
僕が親鸞と生きるために。

(あー、今から大変だ。
 新聞紙が真っ黒になるくらいお稽古するか、
 チーが100枚くらい持って来てくれた本紙でお稽古するか)

筆を探さないとな。

僕の筆を。

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山尾ちゃんにはがっかり

どの政党も、僕は特に支持しないけど、
つまんない女の子だったんだな。

期待できる女の子の政治家なんて、
日本にはいないんだな。

自分の女房を大事にしよう。
自分の亭主を大事にしよう。

みんな、
自分の奥さんかお母さんに、
自分の旦那さんかお父さんに、
愛してるって、ちゃんと言うんだよ。

感謝してるって、
ずっといてくれてありがとうって、
愛してるって、
あなたが大切だって、
毎日言うんだよ。

そういうことのできないおうちは、
みんな壊れる。

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約束

約束って、
守るためにあるんだ。

もし、誰かに、
「メールも電話もするな」
って言われたら、
それは守らなきゃいけない。

「13時に蒲田の駅でね」
って言われたら、
飛行機を降りて、
羽田からバスで行った方がいい時もある。

モノレールや山手で行く方法しかない訳ではない。

約束は、
人に強要しておいて、
自分が守れないことなんて山ほどあるんだ。

「君を一生幸せにする」

「あなたについて行きます」

そういうのを守れないおうちが大半なんだ。

だからみんな揉めて、
だから俺に相談して来る。

「こんなことになるはずじゃなかった」

「どうしてこんなことに?」

ううん、違うよ。

本当に相手を大切に思うなら、
約束を守らなければならないんだ。

でも、
それができない人たちのために、
浄土真宗がある。

僕がそれを忘れたら、
僕は僕でいられない。

約束は、守るものだ。

僕は時間に厳しい。

自分が言ったことについて、
ニョロいことはしない。

時間は守るものだ。

できない約束なら、
先方に言ってはいけないと、
僕は思う。

それが最大級の言い訳で、
それが最大級の生き恥なんだ。

恥をかいて己を知ることが、
世界でいちばん素敵な、
浄土真宗なんだよ。

問題は相手だったのかしら?

本当の問題は、
実は自分でなかったのではないかと、

自分を問うことを浄土真宗と言う。

法然上人も辛いところだったと思うけれど、
親鸞にしか再現できなかったところに、
やさしくて温かい浄土真宗がある。

僕は死ぬまで、
親鸞と生きる。

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どんだけ世の中不倫やねん

我が国が隣国の子供から、
ミサイルをぶち込まれるかも知れない、
この期に及んで朝から晩まで、
帯番組はまた不倫のスクープばかり。

不倫なんてクソしかやらん。
クズです。
弱虫がやることだと僕は思う。

好きになっちゃうのは「感情」なので、
それは仕方がないと、僕も思うけれど、
婚姻関係を持っていて、子供さんを養育する責任があるはずなのに、
そこから逃げて外に向かってしまうって。

現実から目を背けて、
何の結果が出るのか?
逃げてるだけじゃん?

どんなに自分をごまかしても、
結婚している事実は変わらないし、
生まれた子供を消しゴムで消せる訳がない。

ドラえもんなんかいないの。

日本はどうしてこんなに弱虫の製造国になったのだろう。

認識の甘い人同士が、
おかしな傷を舐め合って及んだことだろうとは思うが、
本当に相手を好きなら、
離婚をきちんとすることが、
それまでいた家族に対しても、
今、好きになった相手に対してもの誠意なのに、
何だかちょっとギャンブル系のことを楽しむ環境みたいなところにいて、
自己責任を自己として追求しない無責任さを、
本当に悲しく思わないのだろうか?

こんなことが全部OKなら、法律を変えなきゃならないじゃない?

一夫多妻にする法案を認めないと、話がどんどんおかしくなる。

既に親が教育を間違っている。

どうしてこんなに秩序が乱れているのか。

「だって好きだったんだもん」

そんなことが罷り通ると思うか?

女房を四人もらってもいいイスラム文化とは違う。
(そもそも、日本の国の成り立ちとはシステムが違います)

日本人はどんどん稚拙な人ばかりを生み出し、
こんな人たちを育て上げて……。

まだ一億くらいの人口がいるのに、
連日の報道の巻頭が、全部「不倫」って。

ミサイルはどうするんだよ?

僕は、
本当に大切な人を、
抱きかかえて死にたい。

反撃しない日本人だから、
大切な人を守り抜いて死にたい。

銃弾を受けるなら、
僕の背中に撃たれても、
それでも僕は、
一番大切な人を守るし、
次はパパとママ。
次は僕の妹。
次は阿難とチューダ。

守り切れるかは分からないけれど、
守らなければならないプライオリティというものがある。

善意で手伝ってあげているような、
その場凌ぎの言い訳を並べ、
当人同士はぐるぐるになっているだけで、
弱虫は弱虫。

傷の舐め合いは汚い。

やれるもんならどこまでも逃げてみろ。

責任をきちんと取れることを考えられる人は、
きちんと離婚してから、
付き合って下さいとか、
愛する人に愛してるって言うよ。

だって本当に愛してるんだもん。

相手を愛してるって、そういうことじゃん?

不倫は、お互いに自分の都合がいいことばかりで、
都合の良い部分だけを共有するところに価値を見出しているだけで、
相手を本当に愛していない人たちだけが繰り返す、
一番情けない自慰行為だと、
僕は断言する。

たった一人の奥さんも亭主も幸せにできないのに、
子供も幸せにできないのに、
弱虫は何をしようと思うのかね。

何を?
どうやって?
誰を?
幸せにできるの?

きちんと離婚してから、ができない人たちが、
国会議員にまでなっている。

僕が生まれた国家は、
こんなに幼い国なんだ。

少し悲しい。

なくならないことなんだろうなとは思うけれど、
もう少し大人にならないと。

僕は、不倫については300%、完全否定です。
人を大切にすることには至らない、
非常に雑で稚拙な人たちが繰り返す行為だと、僕は思う。

人を大切にすることって、
貿易じゃないんだから、
ずっと片思いであっても成立する。

アホなんか?
俺の生まれた国って、
ここまでアホなんか?

最低を通り越してクズやな。

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親の歳、自分の歳

親の歳も、
自分の生まれた環境も、
兄弟や姉妹がそれぞれの「個」となって生きることも、
それは本当は、自然に拠るもので、
どのことも、誰のせいでもないんだよ。

僕らみたく50代になると、
同級生を亡くしたり、
伴侶を亡くしたり、
大切な人を亡くしたりするかも知れない。

だって死んじゃう時もあるんだから、
それが親でも子でも、
とても愛していた人でも、
原因が事故であっても傷病であっても、
失くす時には失くすんだ。

親がこの先何十年もいてくれる訳はないし、
何十年もいてもらっても、少し困るのかも知れないし、
若い頃は、親が歳を取るなんて知らなかったし、
教えてくれた人はたくさんいたのだろうけれど、
40代とかに入る前の「若い耳」には、
ちっとも聞こえなかったんだと思う。

人にもっとやさしくできる日は、
自分にも体力や知力や、余裕がある時だけなんだけれど、
人は歳を経て、
だんだんできないことが増えて行く。

でもそれは自然なんだ。

僕は30代の僧侶とかに、
今はそれを伝えて行かなければ、
また、おじさんの話みたいになって行くので、
そこには相当の覚悟をしている。

このブログを書き始めた時は、
僕は子供だったから、
言葉は美しく、輝いていただろう。

読み返しても「へ?」ってなるんだよ。
10年前に書いたことは、
読み手には今も活き活きとして伝わるのに、
如何に僕が伝えることに対して怠惰だから、
今、こうなっているんだと受け取っている。

話し方と離し方、
大切に思うからの放り出し方、
自分の寺に対する僕の中の迷い、
安定を供給し続けなければならない丁寧さの真価。

どれも僕に求められていることなんだ。

世間には、
上手く結婚できても、
離婚しなきゃならない事情が発生したり、
倫ならぬ関係が勃発したりと、
(最近の文春と新潮は笑いが止まらんだろうが)
どうにもならないことが起きたりするのだから。

ただただ、
真宗を伝えなきゃならんと、
そういう、
僕が命を賭けていて、
死んでも浄土やからみたいなことを分かる、
そういう人たちと、僕は生きて行きたい。

僕には、結婚がゴールでもなく、
僕には、世襲がゴールでもない。

もっと自由に悲しみを話せて、
もっと自由に楽しみも話せて。

そういう僧侶であり続けようとしていたことを、
僕が忘れてた。

こんなに阿弥陀と歩いているのに。

こんなに阿弥陀が僕と歩いてくれているのに、
何か出来事が起こらないと、
僕はすぐに阿弥陀のことを忘れちゃうんだ。

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呼応(呼びかけに対し応えること)

脳みその中で、
人が、
どのくらい、
何に比重を置いているかを判定するCPUができたら、

「この人はお金ですね」とか、
「この人は遊びですね」とか、
「この人は家庭ですね」とか、

心理学的とか精神分析とか、
そういうカテゴリーに嵌め込まれて、
分類されて行くだろう。

僕はとても走るのが苦手で、
人生の最高記録は9.2秒/50mだったけど、
僕の妹は空前の運動神経で、
いつもリレーのアンカーだった。

中学も高校も一回戦負けだった僕らのバスケット部を、
僕の妹はどちらも簡単に県体優勝まで持って行った。
(これ言うたら性別がバレるな。まぁもういいや)

でも、サーフィンしてる時も、
スキーをしてる時も、
ゴルフをやっても、
妹はいつも僕について来られなかった。

僕はスポーツが好きだったけれど、
僕の妹はスポーツが好きじゃなかったんだと思う。

僕のPC担当の安野君は電気自動車に乗っている。

何年か前に、安野君と飲んでた時に、

「ブレーキを勝手に踏んでくれたり、
 信号で止まる度にエンジンを停める車に乗るくらいなら、
 電車かバスに乗ればいいのに」

と、傍若無人なことを言った覚えがあるが、
今は、老人から免許を取り上げることに、
個人差があり過ぎて、年齢の制限をかけることができない。

『運転免許』という我が国の概念は、
『ドライバーズライセンス』と言う他国の領解(りょうげ)とは異なっている。

「免許」というのは、
車両を運転することを渋々ながら「許可」するものであるし、
「ライセンス」というのは、
車両を運転することに対しての「権利」を与えるものである。

2020年までに、
隣国に身売りしたVOLVO(100%中国資本)が、
「自動運転の車を作る」
と、先駆けて発表してしまった。

NISSANも同じことを言っちゃった。

法整備はどうするんだろうね。

免許?
ライセンス?

事故が起きたら全部、開発したメーカーのせい?

小学生でも車に乗っていいの?

飲酒運転とかも、運転じゃないからいいの?

サッカーに行きたいって運転手が言い出したら、
今から家族みんなで温泉に出かけるつもりだったのに、
運動場に連れて行かれるの?

酔っ払った人が、
女房じゃない人のマンションに行きたいって言い出したら、
そこへ連れて行くの?

AIが発達すると、
何が道徳基準で、何が好き勝手なのか、
それもAIに判断されるの?

だとしたら、
AIはいちばん初めに仏教をハネるだろう。
その中でもいちばん分かり難い浄土真宗を排除するだろう。

自分が居心地の良いところばかりが浄土ではない。

居心地の良くないところに生かされて初めて浄土がある。

わざわざ滝に打たれなくても、
わざわざ御朱印を集めに行かなくても、
わざわざ座禅を組まなくても、

いちばん辛いところにいるのは誰だ?

日常がいちばん辛いんだよ。
生活がいちばん辛いんだよ。

喧嘩をしたり、
仲直りしたり、
貶し合ったり、
支え合ったり、
あんたなんかもう要らんて言うてみたり、
だけど反省してまた大切に思ったり、
一緒に喜んだり、
一緒に泣いたり、
間違ったこともするし言う。

それが「人」なんだ。

お寺の梵鐘の、
「ぼーん、ぼーん」
って聞こえる音が鳴るのは、
撞木が叩いたから鳴るのか、
鐘が金属だから鳴るのか?
音を立てているのはどっちだ?

誰か、叩いてる人がおるから鳴るんやねん? 
みたいな、
クソ自力のことを、僕が言っているのではない。

両手を合わせてパチパチと拍手をする時、
音を立てているのはどっちの手?
右手か? 左手か?
自分が音を出せるのなら、
口で「パチパチ」て言え。

AIがそこまで分かるようになったら、
人が「間違いを起こすことの阻止」まで搾取できるようになったら、
そこまでプログラミングできるようになったら、
僕は僧侶を辞める。
手を叩いて、拍手をして、
僕のおうちにはないけど、
お向かいの秀ちゃんのお寺の梵鐘を叩きまくって、
僕は僧侶を辞める。

僕は人間であることを辞めるよ。

どうにもならないから、
何度も喧嘩をするから、
何度も仲直りをするから、
貶したり誉めたり、
助けたり援けられたり、
一喜一憂しながら生きるのが人なんだ。

それを呼応と言う。

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犬の目 人の目

僕の犬の阿難とチューダは、
僕が電話で誰と話しているか、
すぐに嗅ぎ分ける。

誰かの相談に乗っている時は、
何時間も話していても、
特に文句も言わず、
二人ともおとなしくしている。

でも、誰かと喧嘩してる時は、
「やめて、やめて」と、
膝から下に纏わりついてうるさいんだ。

僕が泣きたくなってベッドに転がっている時は、
阿難は僕の上には乗らず、
必ず右脇に来て丸くなって、
一回だけ大きくため息を吐いて、
僕に体温をくっつけて黙っている。
チューダは僕の上に乗って、
必ず伏せの姿勢のまま、ゴリゴリと匍匐前進をして、
一回だけ大きく生欠伸をして、
まだ瞳からこぼれてもいない僕の涙を、
執拗なくらいに舐めに来る。

犬の目から見える僕は、
何を悲しく思っていて、
何が悔しいと思っているのかを、
既に分かっているのだろう。

言葉を持っていないのにね。

人の目は違う。

言葉に腹を立てて、
言葉に右往左往して、
涙を拭いてあげなきゃならない時と、
涙を拭いてもらわなきゃならない時を、
いつも間違ってしまう。

人の目から見える僕は、
自分の悲しみを自分で悲しく思っているだけで、
自分の悔しさを自分で悔しいと思っているだけで、
如何に自分が浅はかであるか、
そんなこと、誰にも分からない。

言葉を持っているのにね。

犬は、ごめんなさいをすぐ言えるのに、
人は、ごめんなさいをすぐ言えない。

自分が失いたくない相手がいるのなら、
それが友達でも、恋人でも、歳をとった親でも、
失いたくないと、
言葉を持たない犬は正直に言うのに、

自分が失いたくない相手がいるのに、
それが友達でも、恋人でも、歳をとった親でも、
失いたくないと、
言葉を持っているはずの僕が言えない。

立場か?
プライドか?
泣きたくても泣けない自分か?

何が辛いんだ?
家系の由緒か?
担いで行く寺か?
守り抜かねばならない門徒か?
後継者が決まらないからか?
納骨堂をどうやって整備するかか?
年老いて行く二人の親に対する愛情か?
それを相談できる伴侶が、傍にいないことか?

何故、外的理由にそこまで翻弄される?

独りでも真宗は伝えられるはずなのに、
何を甘えているんだ?

お前は何が辛いんだ?
一人で抱えきれないからか?
その不甲斐なさに苦しむからか?
誰にも言えないからか?
そしてそのストレスを、
また愛する誰かに甘えて投げ込むからか?

犬にはバレているのに、
人にはバレない。

どうして僕が泣いているのかを、
人は知らないのに、
どうして僕が泣かないのかを、
犬は知っている。

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